音の記憶


古い楽器には計り知れない音の記憶が潜んでいる。

音楽家の主人の人生と共に歩んだ楽器、誰にも拾われずに眠ったまま途方もない時間をひっそりと過ごした楽器、戦火を命からがらくぐり抜けてきた楽器。

名手に引き取られ楽器としての至福の喜びを味わえれば、それは幸せな残響として残るだろうし、争いの轟音を恐る恐る共鳴させてきた楽器には悲劇の音色が染みつくに違いない。

いずれにせよ、長生きをした楽器と新しい楽器との間には比較が出来ないほど大きな音響的な記憶の隔たりが存在していて、多くの経験をした楽器の内部には無数の見えない溝がレコード盤の様に刻まれている。

古い歌にもそれと同じ様な事が言えるかも知れない。

正月に実家に帰ると祖母が歌ってくれる七草粥の歌。
春の七草をトントンと包丁で刻みながらそのリズムに合わせて歌を聴いていると、知る由もない漠然とした古い記憶が突然その場に訪れる。

遥か遠い昔に誰かが歌っていたであろう不思議な旋律。

これまで一体どれほどの人々の記憶を取り込んで来たのか。